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瀬戸内に暮らす

Message 代表からの挨拶に代えて

株式会社クリエイト伸の星川真一です。
この度は、数ある会社の中からクリエイト伸に、ご興味をお持ちいただきありがとうございます。
本来であれば、『代表からのご挨拶』のような形で弊社の考え方を述べるところですが、私自身が一人称で語ることを得意としていません。とはいえ、クリエイト伸の想いを知っていただきたいという気持ちは、存分にあります。
何か良い方法はないかと考えた結果、外部のライターによるインタビューという形式であれば、私の考えていることや想いを発信できるのではないかという結論に至りました。インタビュアーからの質問に対して、飾ることなく本音で回答してみました。
私自身の起業の経緯や考え方、クリエイト伸が大切にしている事・向かう未来を知っていただけたら幸いです。

株式会社クリエイト伸 代表取締役星川 真一

vol.01家づくり、ものづくりの原点。

星川社長が家づくりに携わるようになったきっかけを教えてください。

祖父が建具や家具をつくる指物大工だったので、自宅の作業場が遊び場でしたね。
それもあり小さい頃から、ものづくりが身近にある環境で育ちました。
祖父から「無いものはつくれ」と教わっていたので、家づくりやものづくりに携わる原点は祖父にあると思っています。

小さい頃から家に携わることを仕事にしたかったのでしょうか。

そういうわけではないですね。流れに沿って建築の道を選んでいった感じです。
ただ、祖父が指物大工で、曽祖父が宮大工をしていたので、家づくりの血脈みたいなのはあるかもしれません(笑)。
なんとなく、ものづくりの仕事をしたいという気持ちはありました。

建築の仕事をし始めたのはいつからですか?

私の場合は、15歳から建築人生が始まりました。
今ではブラックと言われるような過酷な仕事環境でしたが、振り返ればいい修行ですね。量をこなすことが質を高めることにつながることを肌で体験しました。
とにかく一所懸命にやり続けていると、18歳になる頃には結構なお給料をもらえるようになっていました。一人前として扱ってもらえるようになった頃に、地元で仕事をするために戻ってきました。

四国中央市に戻ってきてどんな仕事をしていたんですか?

当時は建築石材といって、大理石の壁や敷石の石工職人をしていました。あとお庭の植栽や外構工事もやりましたね。その時に四国中央市のいろんな工務店や建設業の社長方、職人さんと関わったことが今に繋がっていると思います。

今につながっているとは?

仕事終わりに社長さんや職人さんと食事をすることも多かったんですけど、その時に「ウチに入らないか」と声を掛けていただくことが多かったです。
ただ、その時は仕事も楽しかったですし、すぐに転職しようとは思いませんでした。
けど、視野が広がるというか選択肢は広がりましたね。

しばらくはスカウトをやり過ごしながら仕事をされていたんですね。

そうですね。ただ、20歳くらいの時なんですけど、15歳から続けてきた仕事にもかなり慣れて、突き詰めた感じがあり、将来の可能性に限界を感じたんです。今思えば、まだまだでしたし、まぁ若かったですね(笑)。
なんか達成感みたいなものが芽生えて、新しいことに挑戦したくなりました。
その時に改めて「自分は何がしたいんだ」と考えて、自分の道はこれではないと思ったんです。

どんなことを考えたのですか?

やっぱ「大工」ですね。祖父の木工所で遊んでいた経験や、木材を使ってものづくりをする喜びは、ずっと私の根底にあったんです。
あの時の気持ちに素直になって、自分も大工をやってみたいと思うようになり、思い切って会社を辞めました。

辞めてからはどうしたんですか?

ちょうどその時に、ずっとスカウトしてくれていた工務店の社長が「じゃあウチで一緒にやろう」と熱烈に誘ってくれました。
今思えば、気にかけてくださってたんだと思います。それで工務店で仕事をするようになりました。

vol.02見習い大工から現場監督へ。

工務店ではすぐに大工として働くようになったのですか?

それが、そう思うようにはいかないんですよ(笑)。
まだ20歳そこそこの若造だったので、仕事の8割は雑用でした。当時の工務店は、住宅だけじゃなくて基礎や解体の工事も自分たちでしていました。
なので、大工工事や解体など、いろんな現場の手伝いをしていましたね。
その時の幅広い経験と深い知識が、今に活きていると思います。

しばらく色々な現場の手伝いをして、大工になったんですか?

実は大工になりませんでした。仕事をしているうちに工務店も成長して、下請けから元請けに転換していき、自分たちで新築やリフォームを受注することが増えていきました。
その時が25歳くらいですかね。社長に「自分一人では現場を切り盛りできないから、お前に現場を任せたい」と頼まれたんです。

現場監督を始めたということですか?

今のように「現場監督はこれをする」といった明確な役割や仕組みがなかったので、現場を取りまとめながら、作業もするといった感じでした。そこでも大工工事を覚えていく経験をさせてもらいました。

やっぱり大工には憧れがあったんですか?

憧れはありました。なので、自分の仕事が終わった後に大工さんの手伝いをしたり、休みの日にも無給で大工工事の手伝いをしながら、教えてもらいました。

そうするうちに、1人前の大工になった感じでしょうか?

いえいえ、大工さんではないです。道具も持っていますが、本職の大工さんほどのスピードも技術もありません。今も大工見習いみたいな感じです。

大工に専念しなかったのには理由があるんでしょうか?

当時の会社に現場監督が必要だったので私がやるしかなかった点と、現場監督も人材がいない難しいポジションなんです。お客様、会社、職人さんとの調整も本当に大変で責任が重い。
そこにやり甲斐を見出してゆき、大工より監督に魅力を感じたのかもしれません。
また、最初に勤めた会社の社長から「しん君は職人にも、営業にも、管理職にでも、どれでもなれる才能があるわ!ワッハッハ!」と言われたことが今でも鮮明に覚えていて、大工を目指すか、現場監督を目指すか、当時は悩んでいた記憶があります。

それで大工にならなかったのですか?

まぁ、今思えばですよね(笑)。
その頃からでしょうか。大工仕事も好きでしたが「どうしたら会社を成長させれるのか」「どうしたら良い会社になるのか」というのを社員ながら考え始めたんです。
これがきっかけで、経営にも目が向くようになりました。

vol.03会社を成長させることに全力投球。そして独立へ。

経営に目が向いてどんな目標ができたのでしょうか?

当時は成長=売上だと思っていたので、とにかく会社を大きくしたいと思っていました。売上1億円だったのが、翌年1億5000万円になり、2億円になりと順調に伸びていきました。

すごい成長していますね。

当時は完成見学会を開催している会社なんて、大手のメーカーさんぐらいでしたが、「うちでも完成見学会をやりましょうよ」と言ってやってみました。今では考えられない恥ずかしいチラシをつくって、全然お客様の来場がなかった時もありましたけどね(笑)。

新しいチャレンジをされていたんですね。

会社を成長させて社長に恩返しをしたい、社長の力になりたいという想いが大きかったんです。そして楽しかった。ただ、そうは上手くいかないものでして…。

上手くいかないというと?

まだ自分も若かったということもあるんですが、だんだんと社長の考えと自分の想い、会社の成長スピードと社員のモチベーション、全てにズレが出始めたんです。

ズレ始めたというと?

大工さんやスタッフさんから「最近、しん君ちょっとキツイよね」という声が聞こえてくるようになりました。
社長との意見が合わなくなったり、社員の方や職人さんたちとも関係性が悪くなったりしました。今考えると、私の独りよがりで協調性に欠けていたのかもしれません。

意見が合わなくなってきて、何か行動されたんですか?

現在、クリエイト伸で働いてくださっている西岡さんは、前職の折、取引先の設計事務所の先生という立場でしたが、悩みを相談した際には「お客様にプラスになる努力をすれば良い」とアドバイスしてくれました。その言葉に「なるほど!」と思い、一度リセットして新たな決意で頑張りました。

その後はいい方向に向かったんですか?

しばらくは順調だったと思うのですが、大きなクレームをいただいたんです。
その原因は私にあり、社内の連携不足をそのままお客様に影響を与えてしまいました。
詳しくは述べられませんが、ご迷惑をおかけしているお客様から相談があり、少しでもと思って提案したことが採用してもらえず、「会社の決定なので、できません」とお客様に謝罪するしかありませんでした。
その時に『自分の存在価値は何だろう』と感じ、惨めな気持ちになってしまいました。

それで星川社長の考えが変わったんですか?

そのお客様から、家が完成した際に食事にお誘いいただいたんです。
その時、ご家族皆さんから『いろいろあったけれど、一番親身に仕事してくれたのは星川君だ。本当にありがとう』という今でも忘れられないお言葉を頂きました。
「仕事をしてお客様に喜んでもらえる喜び」を本当に知ったのは、この時だと思います。
そこから仕事をする上で葛藤する時間が増え、何が正しいのか、何が正しくないのかを毎日考え続けるようになりました。

その後、独立という判断になったのですか?

社長に恩もあり、悩みました。けれども、どうにも納得ができなくて悩んでいた時、お客様から「ありがとう」を言っていただけた事が心に深く残っていて、自分はご家族が幸せに暮らせる「いい家」を造りたいと思いました。そして自分の正しいと信じる道を進もうと決断しました。

周りにはどんなことを言われましたか?

「綺麗ごとじゃないか?」とか「今の時代には難しいだろう…」といった声が多かったです。正直、自分には無理かな…と不安にもなりました。
しかし、自分の考えを世に問うてみようと思いました。その考えが「綺麗ごと」だったら通用しないし、正しい事であればやっていける。自分の信念を世に問い、人生をかけて挑んでみようと独立しました。

vol.04お客様もスタッフ・職人も会社も楽しい環境をつくりたい。

独立する時はどういう想いでしたか?

土地もないお金もない当てもない。本当にやっていけるのか不安も大きかったと思います。
けど、やってやろう!と期待感もありました。

個人事業主ではなく、会社という形にしたのはなぜですか?

最初は個人事業主でしたが、仲間が入ってくれるにつれて、働く人たちの環境や人生を支えなくてはいけないですし、お客様にとっても法人の方が安心感があると考え、法人化しました。

クリエイト伸という社名にしたのはなぜですか?

建築技術で0から1を生み出すという意味と、自分がここから未来を創り上げるという意味を込めて「創造=クリエイト(CREATE)」。
あとは、想いが伸びていってほしいということもあり「伸」を入れました。
ちなみに、起業することが祖父の遺言でもあったことから、ものづくりの原点である祖父の名前から一文字、「伸」を拝借しています。

会社運営をする上で譲れないこと、大切にしたいことはなんですか?

「いい家」を造り、お客様、社員、職人の方々が、家づくりを通じて人生が豊かになってゆく「三方良し」の考えを大事にしています。

自然素材の家づくりにつながっている想いは何ですか?

家族の幸せは、まず「健康」だと思うんです。健康が全てではないですが、健康を損なうと失うものが多いと思います。
今の時代、せめて家の中だけでも健康的な環境が望ましいと思います。例えば裸足に触れる床は化学物質よりも、木の方が良いですし、空気環境を良くするためにも漆喰が効果的です。
全てが自然素材である必要はありませんが、「せっかく暮らすのだから、少しでも健康な家にした方が良い」という気持ちです。

高気密や高断熱も同じ考えからですか?

やはりここは健康と電気代の節約です。人間は季節の変わり目など温度変化で体調を崩しやすい。
家の中で大きな温度差が生じると、ヒートショックだけでなく、一般的な健康にも悪影響を与える可能性があります。
そのため、私たちは高断熱・高気密にこだわっています。ただし、数値だけでなく、適切で丁寧な施工と地域に適した快適な家を造ることを大切にしています。

vol.05これからの瀬戸内の暮らしをつくりたい。

現在掲げている「瀬戸内に暮らす」のコンセプトが生まれた背景を教えてもらえますか。

今は、高性能だったり、間取りやデザインを提供する会社さんも増えていますよね。そんな中で単に「いい家」という言葉だけではお伝えしにくいなと悩んでました。
改めてこの地域で「いい家」ってなんだろうと考えた時に、瀬戸内地域の気候風土に根差した家づくりが正解なんじゃないかなと思ったんです。

今はそれがしっくりきている?

もちろん「瀬戸内に暮らす」がしっくりきます。そして私たちで「瀬戸内のスタンダード」をつくります。

どこから瀬戸内スタンダードが生まれましたか?

高性能住宅はドイツをお手本にすることが多いです。それで実際にドイツに体感しに行くと、日本と違って湿度が低い。そして寒波もあって寒い。そのため、基本的には「寒さ」対策がメインなんです。
しかし、日本は高温多湿の気候風土です。基本的な考え方は同じで良いと思うのですが、日本独自の対策が必要だと感じました。
特に瀬戸内地域は比較的暖かく、雨の少ない「温暖小雨」ですので、地域特性は全く違います。
個人的に日本各地をバイクで走るんですけど、特に瀬戸内は独特だなと感じました。

どういうところが独特だと思いましたか?

山と海の距離がかなり近い。そして「温暖小雨」ですので寒さ対策だけではなく、暑さ対策にも力を入れることが大事だなと感じています。
特に四国中央市は台風より甚大な被害が懸念される日本三大悪風の「やまじ風」が恐ろしいですよね。工事中の対策も必要なのですが、完成後も通常通りでは安心できないと思います。

「瀬戸内に暮らす」は具体的にはどんな家になるんでしょうか?

四国中央市金生町のモデルハウスが一番分かりやすいですかね。
日本独特の造りである深めの軒は夏の強い日差しを遮り、外壁を守り、軒下という空間が生まれます。屋根と一体化してさり気なく、深い軒を出す事に力を入れました。
その軒を利用してウチとソトのつながりをつくり、中庭を部屋に取り込むように大きめの窓を連ねています。夏場の強い日差しは遮りつつ、心地よい風も取り込む。
室内を開放的にするとともにプライバシー、やまじ風対策を兼ねて、塀を配置しています。
高性能な家は基本的に窓を閉めて暮らすことが前提なのですが、私たちは瀬戸内地域特有の心地よさも暮らしに取り入れたいなと考えてます。
これらの設計検討は数値だけでは十分に表現できませんが、ご家族の快適さを追求する上で、とても大事になってくると考えています。

お客様にも「瀬戸内で暮らす」という考えを知ってほしいですか?

もちろん、ぜひ知っていただきたいです。
今はSNSやYouTubeから情報が簡単に取得できる反面、情報量が多く偏ったり不適切な場合もあります。
性能を表すUA値の数値を目標にするのには良いのですが、数字のみに捉われてしまうと大切な事を見落としてしまいがちな場合が多いです。
例えばUA値は気にするけど、C値(家の隙間)は気にしていない。これだと幾らUA値が良くても、暑くて寒い家になります。
バランスよく適切な知識の取得と、やはり実際に体感することが必要だと思います。
その中で、クリエイト伸の「瀬戸内に暮らす」という考え方に共感してくださるお客様がたくさん集まってくれると嬉しいです。

クリエイト伸のこれからの目標を教えてください。

私たちの企業構想は、「これからの瀬戸内の暮らしをつくる」ことです。

瀬戸内地域で「いい家」を造り続けてゆく。
お客様ご家族が幸せに暮らし、社員や職人の方々が誇りを持って働き、安定した生活が送れること。そして地域の方々や若人に憧れられるカッコいい存在でありたいと思います。

お客様や働き手の方々に「クリエイト伸なら、自分の想いが叶う」と思って頂けるような「いい家」を造る「いい会社」を目指し、全員の未来をこの瀬戸内に創っていきたいです。

会社を大きくしたい、伸ばしたいという考えはありますか?

お客様をはじめ関わる皆様を守るために企業の成長は必要です。
ただ何百億円、何百棟を建てるといった規模を目標にする気持ちは正直ないですね。
私が人生をかけてやっていきたいのは、「これからの瀬戸内の暮らしをつくる」ことです。
一人ひとりが日々努力し、家づくりを通じて人生を豊かにする。
正しい考え方、技術を後世に伝えながら、木の年輪のように1年1年、確実に成長を刻み、未来を創ってゆく。
自分たちが愛すべき瀬戸内という地域にしっかり根差して、ビクともしないクリエイト伸という大きな1本の木になりたいです。

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